知識は一次キャッシュ

朝、電車に乗っていたら、突然、
脳内に貯め込まれた「知識」は、CPUの「一次キャッシュ」みたいなものだ
というのが思い浮かんだ。
(とっくに誰かが考えていると思うけれど)
何かを考える時に、脳内でヒットしない場合、二次キャッシュ(手持ちの資料)を探しに行くから、処理が遅くなる。
そこにもないと、メモリやら外部記憶やらを検索に行く(ネットで探したり、誰かに訊いたりする)ので、更にペナルティが大きくなる。


で、いろいろな情報技術の進歩により、二次キャッシュやら外部記憶やらを見に行くときのレイテンシが、以前に比べて減少してきているので、「知識」の相対的な価値は低下しているように思う。


代わりに重要になっているのは何だろう?クロックか条件分岐の精度かバスの速度か?
世の中全体の効率向上とか、決まった仕事を皆でやって、誰が一番早いか、といった競争だったらそうかもしれないけれど、自分が自分でありつづけるために重要なのは、「アーキテクチャユニークであること」じゃないか、という気がする、今日このごろ。