09/25(金)
オフィスに出社。横浜に向かうのに、大門駅から浅草線~京急に乗る。これだとオフィス直結で表に出なくて済み、雨に濡れることがない。Tジョイ横浜も駅直結なので好都合。18:55上映開始の15分ほど前に到着。8Fで発券し、エスカレータで10Fへ。トイレに行って、コンセッションでジンジャエールを買っている間に開場。シアター7は150席ほどの中箱。席はG-9でほぼど真ん中。Tジョイは全席開放しているが、幸い両隣は空席。でも、そこそこ入っていた。
ここTジョイ横浜に来るのは3回目で、毎回あまり良い印象がない。今回のシアター7も、レーザーのスペックルノイズが目立ち、その割にしゃきっとしない映写と、音量大きすぎ高域うるさ過ぎで、奥行きを感じない音響でげんなりする。この間のAC港北NTスクリーン6も良くなかったけど、同じようなレベルかなぁ、と思う。Tジョイ系は信用していたのだが、この劇場は自分には無理。場所的には便利なんだけどな。
でも、そういう環境で序盤がのめり込めなかったぶん、考察は進んだかも。ということで、以下はネタバレを盛大に含む考察(という名の妄想)。
・前回、ギルベルトが左利きだという描写はどこかにあったかな、と思って、帰ってからTVシリーズを見直したりしたのだけれど、なんのことはない、映画の中にその描写があった。
・ユリスの件の後、「少佐を殴るのは、私が」というヴァイオレット。「冗談です」と言っていたが、少佐を手紙で殴ることを企てたのだと思う。「明日の船で帰ります」というのは、ギルベルトと逢うのを諦めたのではなく、時間を使ってギルベルトの心を解きほぐす作戦に切り替えたということ。
・「これが、私が少佐に書く最後の手紙です」という書き出し。敢えて「少佐に会えない間、出すあてのない手紙を何通も書いたのです」とは書かない。
・同時に、この手紙に少佐が反応しなかったら終わり、という覚悟。
・島に向かう船で風に飛ばされた手紙と違って、自分の心情は書かず、ギルベルトへの感謝を綴る。少佐が私にして下さったことを、今の私は理解できるのです、というアピール。
・手紙の最後の一文、「私は、少佐が下さった名に相応しいひとになれたでしょうか」というのもありかな、と思う。ヴァイオレットとしては、この問いかけに、ギルベルトがヴァイオレットのこれまでの仕事を調べ、自分の成長を感じ取って罪悪感を払拭し、連絡をくれる、というストーリーを描いたのでは。
・少年に手紙を託した後、振り返ることなく港に向かうヴァイオレット。少佐の出方を待つしかないが、少佐が手紙を読んで咀嚼し、何らかのアクションを起こすには時間がかかる。少佐が追いかけてくるとは思ってなかったのではないか。
・それを覆したのがディートフリート。ヴァイオレットの、ギルベルトに対する変わらぬ想いを感じ取り、自分の心情を真っ直ぐにギルベルトに伝え、背中を押す。本作のMVP。それにしても、あのタイミングであそこに現れたということは、夜はどうするつもりだったんだろう。帰りの船には間に合わないし、ギルベルトの部屋に泊めてもらうつもりだったのかな。ヴァイオレットが戻ってきちゃったから、それもできなくなったと思うのだが。それとも、海軍の船で来たのかな。そっちの方がありそうか。
・ヴァイオレットが船から飛び込むシーン。3歩ぐらいは波を踏んで歩いてほしかったが、傘がないから無理か。そういえば、島への道行きには傘を持って来ていないのだがどうしてだろう。雨に濡れて走る、というシーンを作りたかったからか。
・そもそも、ぶどうの収穫時期に大雨が降る、ってのは、農家としては死活問題じゃないのかね。「強い雨が来るな」とか、のんびりつぶやいている場合じゃないでしょう。
・語彙力を失うヴァイオレット。強く願い続けたことが叶った、初めての経験。
・あの後どうなったかだが、ヴァイオレットは一旦ライデンに戻り、仕事を片付けた後退職して島に移住。ぶどうの収穫の時期にギルベルトとの再開を果たし、3ヶ月先までの予約をこなして戻ったとすれば、冬の時期。ラストの花火が、ヴァイオレットが再度島に向かった直後の、新年のお祝いだとすれば辻褄が合いそうだけど、どうなんでしょうか。
・しかしデイジーは、ヴァイオレットの痕跡を求めてどんだけ彷徨っていたのか。一番最初のシーン、季節っていつだっけ。もう一度観て確認しなければ。
劇場を出て、エレベーターでB1に降り、横浜駅から京浜東北線~横浜線~こどもの国線。雨ではなかったので、駅から歩いて帰宅。